弟の話 (大石 剛三郎)
今から25年くらい前のこと。当時、私は、障がい者の「権利擁護」に関する活動や事件に関わりだして確か数年ほど経ったころだった。「一人暮らしをする。」「アパートを決めて来た。」と弟が突然宣言した。弟は30歳過ぎで、脳性麻痺の障がいがあり、両親と同居し、就職して一定の収入はあったものの、洗濯も食事作りも生来したことが無く、ハウスダストでくしゃみの出る部屋で寝起きしていた。そんな弟の「独立宣言」を聞いて、母も(2歳年上の兄である)私も失笑し、反対した。問答無用で弟の自立を妨げようとした。自立には準備というものが必要だ、洗濯もしたこともないのに無理だ、毎日外食するつもりか、不経済だ、身体を壊すだけだ、などなど。しかし、弟は、もうアパートの賃貸契約をしてきた、お金も払った、と言い放った。手遅れだよ、と言って、母と私を突き放した。(このとき父がどのようなスタンスをとっていたのか、何故か全く覚えていない。)
そうして弟は一人暮らしを始めた。夜中に電球を換えようとして、電球を床に落とし、その上を素足で歩いて、足の裏を血だらけにした。消費期限をとうに過ぎた豚肉を食べて寝込んだ。真夜中に近くの知人宅に電話をして助けを求めた。そうこうするうちに、弟は、心優しい社会派の女性と結婚し、一男一女をもうけ、いろいろな人生の苦楽を味わい、今は、定年を間近にして、腰痛に苦しんでいる。
酒好きの、努力家である。彼から、自らの障がいを嘆く発言を聞いたことはない。
かつて弟は、「権利擁護」という言葉の「擁護」の部分が嫌いだと言っていた。「まもってやる」という感じがとても嫌だと言っていた。
弁護士 大石 剛一郎 氏